オーナープロフィールについて

オーナープロフィール

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2014.04.11

16年間で顧客1000人の技術で、あなたの悩みをピンポイントでケアします

佐々木洋子

ささき よう子

AEA認定エステティシャン

JAA アロマコーディネーター

リジュベネーションシステムセラピスト

第8回リジュベネーション若返りゴッドハンドコンテスト            ファイナリスト選出

メイクアップアーティスト

日本ダイエットアカデミー協会レギュラーダイエットマスター

エネルギーマスターセラピスト

レイキティーチャー(国際レイキ普及協会レイキ4修了)

第8回ミセス日本グランプリ審査員

 

 

 

 

1971年東京大田区生まれ、大田区育ち。二児の母

1999年PAエステルームをオープンしてから18年間、1000人の方のケアをさせていただきました。

はじめまして
PAエステルームのホームページをご覧いただきまして誠にありがとうございます。
サロンのオーナー兼セラピストのささき よう子です。

どんな人に施術してもらうのか不安だと思いますので、ここで私の生い立ちからお話していこうと思います。              最近、心のケアのメニューも増えてきて、何で私がそのメニューを増やしたのかも、今まで話してこなかった部分も、プロフィールの中に書こうと決意しました。これから、ささき よう子のアメブロ

の中でも掲載していこうと思いますので、興味のある方はそちらも見てください。

あなたが、安心して、心を許せるサロンとして、ホッと実家に帰ってきたような、そんなサロンを目指しています。

なんでも気軽にお話いただけるムードで、心も体も、リラックスしていただけること間違いなしです。

 

生い立ち~子どもの頃~恥ずかしがり屋の大人しい子

右が私3歳くらい。左が姉5歳くらい

右が私3歳くらい。左が姉5歳くらい

私には2つ上に姉がおります。姉は1300gという超未熟児で生まれ、母は姉の前に1度流産、その後にもう1度流産したため私は子宮口を縛る手術で予定日前に外して生まれました。私は、姉と違い3500gと立派な大きさ。その後すくすくと育ち、どちらかというと体格がよく、小さい姉とはずっと比較され、顔も身体も目も口も全部が大きくて目立つ!! と言われ続けてきました。
姉の小学校の入学式について行った時には、私が新1年生と間違われてしまったなんてエピソードもあります。しかし、そんな大きな体格とは反対に、保育園ではよく泣いていて「大粒の涙を流すようこちゃん」と呼ばれていました。さらに、自分が小学校の1年生にあがって自己紹介をしないといけない日には、仮病を使って休んでしまったくらい人前で発表したりするのが大っきらいな気の小さな女の子だったのです。そんなふうに、小学校の低学年までは目立たない感じの子でした。
小学校の高学年になると友達が変わり性格も変わっていきました。目立つグループに入ったため、それから徐々に目立つのにも慣れていきました。体格的にも成長も早かったので目立っていました。胸も4年生くらいにはかなり大きかったです。小学6年生の時には、大学生に間違われるくらいかなり大人びていました。なぜなら、顔もデカイし態度もデカイから(笑)

中学時代~少し目立つ子に変身

中学生時代

中学生時代

14歳ころ中学生でバスケ部へ。あまり運動が得意ではなかった私は姉が一時バスケ部にいたせいもあり友達と一緒にバスケ部へ。当時、好きだった男子もいた甲斐がありきつい猛練習に耐えていました。あの夏のうだるような体育館の暑さは半端なく、ポチャっとしていた体系もおかげでスッキリ。なぜか、副キャプテンの座まで頂きまあまあ活躍しました。引退後、運動をやめたせいでまたぷくぷくと太りだしましたが…。

美容に目覚めたきっかけ

中学の学芸祭で3年生の時に、ちょっと不良君たちとおふざけ劇をやることになり、男⇒女、女⇒男の役で成長した自分たちが出てくる設定になり、その時に初めて人の顔にメイクをしてメイクって楽しい~!!と思ったのがきっかけだったかも~。

高校時代~自分の容姿に自信が持てなくて

高校生時代

高校生時代

16歳のころ、バスケ部へは入部したけどすぐに辞め(身体がついていかなかった…悲)、ガソリンスタンドのバイトに精を出し、スタンドの中で大きな声を出して走り回り、冬はスキー、夏はバイト先で走りまわり部活動のような感じでした。高校生活よりバイトの思い出の方が大きいかな。今でもスキーの腕前は良い感じ。卒業後の美容師学校に行くのは家庭の事情で断念し美容の仕事につく勇気がなく(キレイじゃないとダメと決めつけていた)、普通の会社員へ。

ニキビ面

16歳~18歳。当時、ガソリンスタンドにいたせいと食生活とか栄養の事が何も分からなくて鼻の周りのニキビがいっぱい特に鼻の頭は、ニキビの上にニキビが出来ていて、一歩間違えると、白雪姫の魔女の鼻。赤く腫れていて、ボコボコの状態。赤鼻のトナカイさんの様でした。
なので、美容関係の就職先をと思ったけど自分に自信がなくて普通のOA機器の会社に就職しました。

OL時代~ニキビ肌から美容に目覚めて

22歳の頃

22歳の頃

綺羅化粧品との出会い

18歳のころ、会社の先輩から肌のカウンセリングに誘われ、その当時、鼻の赤いニキビを隠すのに必死で安い化粧品のコントロールカラーやコンシーラー的なもので肌を覆い隠してなんとかごまかしていた頃でした。   デパートの美容部員さんの並ぶ店には絶対に行けないと思っていました。先輩のお誘いだしみんなで行けば怖くない状態でついて行きました。クレンジングの後に肌を50倍に拡大されて見ると、見るも無残な開ききった毛穴には皮脂が詰まっていたり、脂が流れ出ていたりしたいました。その肌を毛穴を埋めずにパウダーだけで仕上げて皮膚呼吸を妨げ今まで隠すことに必死だった私は、そのクレンジングとの出会いは目から鱗。毛穴のクレンジングとスキンケアとサプリメントで肌質改善の日々が始まりました。

 

中央が私

中央が私

きらめきさん

当時渋谷宮益坂に綺羅化粧品のキラBCセンターがありました。そこではOLさんなどがカウンセリングのお手伝いをし、スキンケアやメイクの勉強を教えてもらいながら友達を連れてくるとお小遣いが稼げる制度がありました。そこにいた人たちは「きらめき」さんと呼ばれていました。そこに私も出入りさせていただくことになり、そこで所長をしていたSさんに色々教えていただきました。垢ぬけない私は、最初、
何でこの子が!! って思われたようでちょっとS さんに嫌がられていま
した。Sさんは髪の毛を短くしたらとか、洋服のこととかいろいろ言われて、嫌われてるとは知らない私は一生懸命変わる努力をしてその熱意をかってもらい、徐々にメイクの事や、いろいろなことを教えてもらいだんだんと仲良くなって、メイク学校に通う相談や会社を辞める相談などもしていました。彼女がいなかったら、今の私はなかったと思います。感謝・感謝です。

アメリカ旅行が当たり

その頃のOL生活は暇で…よく雑誌とかに載っている懸賞に応募するのが楽しくて、結構、映画の試写会とか、舞台とかいろいろなものが当たっていました。結構、福引とかでも1万・10万円の商品券や季節の野菜セットとか当たっていて、なんと、アメリカ・アトランタの旅まで当たってしまいました!!でも2名様ご招待じゃなくて1名様10組。「知らない人たちと行くのかぁ」とちょっと不安でした。でもその旅行がきっかけで、「今のままで終わりたくない~!!」と思うようになり、そうしてメイク学校に通う決心をしました。

痩せたくて

就職してからも、11号サイズ。20歳を過ぎたころに、本格的にダイエットを始めました。プロテインを2食飲む感じので、普通に9号サイズまでダイエットが成功しました。あの当時は、かなりハードで会社に9時〜5時で働き、平日は、自然派化粧品の会社にバイトで週3回、ヘアメイクの学校に週2回、ガソリンスタンドで土日働きました。まぁ、そんだけ働けば痩せるでしょう。その当時は栄養のことも何も考えずに体重が落ちて洋服が入ればよかった。スッキリして、お洒落も楽しい時期でした。

ヘアメイク時代~人をきれいにする楽しさを実感

ヘアメイクさんへの道

OLを辞め、ヘアメイクの学校を卒業後、Sさんの計らいがあって綺羅化粧品で勤めさせていただきました。「Sさん、ありがとう!!」。休みの日を使って、ヘアメイクのアシスタントに使ってもらいVシネマ・カタログ・CDジャケット・プロモーションビデオ・テレビの歌番組などに連れてって頂きました。当時、名前が知れていたのはデビューしたてのMAXさん、辛島美登里さんかな。でもメイクさんて本当に裏方さん。自分の思っていたメイクさんと違い、ブライダルの仕事にに憧れを抱いたら自分が結婚してしまいました(笑)  当時、Sさんには「一生独身でいよう!!」なんて言っていたのに、ごめんなさい。

結婚&出産~壮絶な出産と子供の手術・入院でボロボロに

第1子出産後

第1子出産後

その後、妊娠し、健康優良児の私はポンポンと生めるだろうとみんなが思っていたのに…バリバリ仕事に行っていたら妊娠5カ月に入った頃、切迫流産で2ヵ月入院。点滴にあこがれていた私って馬鹿。血管が弱く、すぐに腫れる、漏れる。退院後も安静にというかちょっと動くとお腹が張って下から出そうな…。その後、逆子体操をしていたら盲腸のような腹痛で即1週間入院(原因は筋腫。帝王切開時に摘出)。

さらに、10カ月検診でなんと体重約80キロ。尿たんぱく、むくみ、高血圧のトリプルパンチで妊娠中毒症でまたまた即入院。ベットの周りには暗幕をかけられサングラスをはめトイレまでは行ってOK。夜中のトイレで電球を見たが最後、心臓バクバクで緊急オペに~。サングラスをしたまま手術台に乗った人も珍しいでしょう。

出産後、1週間は寝たきり。ほとんど昏睡状態。次の日の朝の食事が重湯だったけど、ストローでチューっと吸うと気絶の様に寝ちゃっててまた気づいて、飲むと寝ちゃうを繰り返し相当、ヤバかったらしい。後で聞いたら、母子ともに危険な状態だったとのこと。そんな状態だったので覚えてるのは、看護婦さんがおっぱいを絞りにきていたなってことくらい。血圧を下げる薬を飲んでいたので初乳は全部捨てました。寝たきりで尿の管から水分がどんどん抜けていき1週間で10キロくらい減ったかな。ほとんどむくみ、ミッキーのグローブのようになっていた手は、お風呂あがりのふやけた手に変身。寝たきりになるもんじゃないね。25歳でも、起き上ってトイレに行くのに3時間くらいかかった。それから約10ヶ月後、あっという間に2人目を妊娠。最初の妊娠の時に
いろいろあったので病院では要注意人物扱いでしたが普通分娩で娘を出産しましたが、娘は生後4か月で手術や入院を何度かしました。

第二子2歳くらいの時
第二子2歳くらいの時

 

娘のアトピー

生まれてすぐ娘がアトピーとわかり、かゆみとの戦いが始まりました。寝るときにかゆくなり、横で添い寝しながらかゆいと摩ってあげる毎日。そのころに洗剤やシャンプーなどの有害成分の入っていない安全性の高いものをチョイスするようになり肌も落ち着き、かゆみもなくなりました。エステで使用する、洗剤も安全なものを使用しています。

 

 

エステルーム・オープン~太り過ぎで健康が心配に

10年前の私、エステルームオープンしてました。今にもはちきれそうです。

10年前の私、エステルームオープンしてました。今にもはちきれそうです。

切迫流産などで会社に出れない私はキラ化粧品の代理店として家にいながら注文を受けて、出荷する仕事をしていました。2人目を出産する前にマイホームを購入し、産後、痩せる間もなく育児に追われ、家のローンのお金もかかるので、パートに出ようと思ったけど綺羅化粧品の代理店になっていたので注文の電話にパート中、出れない!     まだ子どもも小さかったので、病院に連れていったり娘の入院や、アトピーでの通院だの普通にパートに出ることはままならず1階

の部屋はまだ使っていなかったので、そこでエステルームをオープンすることに。チラシ配りから始まり、タウン誌に載せ、当時、まつ毛パーマ2000円でお客様が増えていきました。

徐々にお客様が定着したころに、夫のDVといろいろなことが重なり、離婚をし、シングルマザーになりました。二人の子供、5歳・3歳を抱えて、家のローンを支払う生活になりました。その頃、ストレスで過食に走り、写真のようにぶくぶく太り、自分の身体を動かすのが大変で、このままいったら、心臓か脳の血管がどうにかなって、死ぬかもしれないと思い、まだ子供が小さかったので、健康的に痩せる方法をいろいろ探し出し、エンダモロジーを導入したのをきっかけに、痩身メニューが増えました。外側だけのアプローチではなく、体の中から健康にしようと、食事の質や食べ方を変えたり、良いお水を飲むようにしたり、いろいろなことに挑戦しました。その甲斐あって、少し見られるくらいの大きさに戻りました。

 

自分の体験を生かして~精神面を鍛える必要性に遭遇~

 

交通事故

日ごろの忙しさに慣れてしまい、車の運転も慣れた道だと、つい甘かった、出会いがしらに、車同士が衝突、幸い子供は乗せてなくて一人。初めての交通事故で、パニック状態に、過呼吸気味になり、救急車で運ばれることに・・・脳震とうだったのか、その日一日は入院することにまりました。ここから私の中が変わりました。外側の外傷はないものの、頭が回らず、車に乗るのも、自転車に乗るのも怖い生活が始まりました。段々それがひどくなり、「私が倒れたらこの家はどうなるんだ!?」と思いだしたら、食事がのどを通らず、眠れない日々が始まり、パニック状態が続きました。でも普通にエステの仕事はこなし、子供たちの世話もしないといけません。人と話をするのも辛かったので、このころを知ってる方は、なんかおかしいとか、冷たいとか思ってしまったかもしれません。ごめんなさい。このパニックで、自分のトラウマにスイッチが入ってしまったらしく、どんどんネガティブな状態に、この時寝れないのが辛く、2~3時間で起きてしまい、そこから寝れないのをどうしよう??と思った時に出会ったのが1冊の本でした。寝れないなら、その時間を有効利用しようと前向きに考え、読書タイム。そしてその中で推奨されてた、ウォーキングに朝4時ごろから出かけるようになりました。ひたすら歩き続けて2~3時間、朝7時には家に戻り、子供を起こすようになり、徐々に元気が戻ってくるようになりました。

エネルギーマスター・レイキ

ウォーキングを機にだいぶ精神的にも落ち着いてきて、ここから、自分のモチベーションを上げる、もとに戻すのに、あるとあらゆることをし始めました、本を読み漁り、整体や、筋反射セラピー、占い、セミナーなどなど、回りから見たら、何でそんなにいろいろやるの??と思われていたかもしれません。自分を取り戻すために、必死でした。もう、だいぶ自分は落ち着いてきたときに、私のように苦しんでいる人がいるかもしれないと思い、ヒーリングワーク的なものが何か出来ないかと、いろいろ探しましたが、所得期間や費用で断念していました。そこに現れたのが、エネルギーマスター、私のトラウマもバケツの泥水をひっくり返したように外に排泄され、これなら短期間でかなり自分の膿みを出せるからこれをやれるようになろうとエネルギーマスターセラピストになりました。それより穏やかに、徐々に心を解き放していくレイキヒーリングも伝授され、かなりパワーアップしてきました。

ファスティングと玄米ご飯と妊活

これまでいろいろなデトックスをしてきました。なぜ毒素排泄したいのか?私たちは、食事をとるにしても、ファーストフードやコンビニなどは、防腐剤いりは当たり前、家でご飯を作るにしても、野菜は化学肥料や農薬、そして肉類は抗生物質や栄養剤などいろいろな薬品を知らず知らずのうちに体に取り込んでいます。そして外側からは、洗濯洗剤、シャンプー、ヘアカラー、パーマ、化粧品ネイルなど、こちらも石油系の有害物質が体に取り込まれていっています。こちらも詳しくこれからブログにアップしていこうと思いますが、こういうものが知らないうちに体に溜まり、アレルギーや体の不調、病気などの原因になっているのは、最近ネットで調べても出てくると思います。こういう便利な世の中ですし、しかたありませんが、今、美容の世界でも入れる方は多い中、デットクス、出す方をしっかりやると、自然と体が軽くなったり、肌の調子が良くなったりします。このファスティングも質の良い酵素、質の良い玄米ご飯でやらないと意味がありません。体の細胞を作り出してくれているのは、自分の取った食事です。大体2年くらいで体の細胞骨まで生まれ変わります。なので、ぜひ子供が欲しい作りたいと言っている方も妊娠したら、食事を気を付けるではなく、作る前から、体作りをしていただきたいです。最近キレやすい子供、落ち着きのない人たくさんいらっしゃいます。ぜひ食事の見直しをしていただきたいです。

 

2011年11月頃の私です

2011年11月頃の私です

自分の経験を生かして

健康優良児で育ってきた私が、出産の時になぜあんなに大変な思いをしたのか、今思い返せば、社会人になってからは、食事もファーストフードや、インスタント食品、外食などが増え、全く健康管理をしていない生活が5年くらい続いていたころに妊娠しました。今は、いろいろ知識も増え、いかに食生活が大事か、体に溜めた「毒」を出さなければ病気になる、妊娠前の体作りがいかに赤ちゃんやお母さんにとって大事かがよくわかります。後から後悔しても遅い、そういう思いをする人を、一人でも減らしたい!    そう強く願うようになってきました。不妊治療はとても大変なことだと思います。不妊治療はイメージがマイナスなので、これからは、子宝治療、授かり治療と言って欲しいです。そして、今まで溜めてきた「老廃物」を、エステの分野でも出せることができます。そして体を温めること、エステで体と心をリラックスしていただきたいです。そしてなるべく食事にも気を付けていただきたいです。そして食事のアドバイスもこれからできるようにしてまいります。

ずっと挑戦・勉強

美容・健康の分野は、どんどん新しい情報が入ってきます。そして、その中で必要なものと必要でないものを見極め、皆様に発信していきたいと思っています。
自分の心も体もきれいに洗練された女性を目指したいと日々勉強ですね。最近は、お客様との話のなかで、発見することもいろいろあり気付きを与えていただき感謝・感謝の毎日です。

私のサロンを訪れてくれるすべての方が、我が家に帰ってきたようなホッと、一息つけるようなアットホームなサロンでありたいと思います。

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